2019年5月4日土曜日

A Love Letter To 黄梅院

A Love Letter To 黄梅院

私は黄梅院が好きだ。

 黄梅院とは京都の大徳寺の中にある24の塔頭(小院)の1つで、普段は拝観謝絶になっているが年2回、春と秋に特別公開されており、ゴールデンウィークを使って今回2度目となる拝観をしてきた。

 元々は織田信長が父の供養のために創建し、その後、豊臣秀吉や小早川隆景、毛利家の帰依を受けて大きくなっていき、大徳寺に現存する塔頭の中でも大きな塔頭の1つである。また火災や明治時代の廃仏毀釈などの難も逃れ、当時の貴重な建物が残ることから国の重要文化財にも指定されている。

 さて、そんな前置きは置いておいて、とにかく私は黄梅院が好きだ。何が好きかというと、その中にある精神性と美しさが好きなのだ。なぜそんなに好きなのかというと、そのレベルが他のお寺や庭園などと比べて圧倒的に違うと感じるからだ。もちろん、日本全国にある全てのお寺や庭園を回ったわけではないので正しい比較ができてないが、それでもこれまで見て回ったお寺や庭園などに対して感じたそれぞれの特徴の差と比べて、もはや違う次元にあると感じるほどメタ的な存在なのだ。

 ではその精神性と美しさについてより詳しく説明していこう。具体的には「階層」、「禅」、そして「コントラスト」という3つの項目に集約される。

 まず初めに「階層」であるが、それは黄梅院に入ってすぐに見つけることができる。千利休が作ったといわれる「直中庭」の中にである。直中庭とは秀吉の命により千利休が作ったとされている比較的大きな回遊式の枯山水庭園で、有名なのは秀吉のシンボルでもある瓢箪の形をした池や、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされる灯篭などだが、より本質的な美は庭自体の構造的な部分に表れていると考える。それは、庭に植栽された草木が構成する階層にである。具体的には3つの階層から構成されている立体的空間の美しさである。まず一番上の階層は、もみじなどの背の高い木が構成しており、鬱蒼と生い茂るもみじの葉がまるで天井のように庭の中に外界との境界線を作り出している。反対に一番下の階層は、一面にびっしりと広がる苔が構成しており、まるで畳や絨毯のように空間における下限の境界線を作り出している。また同時に、一番上の階層にある木が作り出す日影が苔を育む環境をうまく作り出しており、階層同士の関係性も感じさせる。そして最後の中間層は種々の低木や草花が構成しており、季節ごとに咲く花が空間に時間を感じさせる役目も果たしている。そう、これは正に庭自体が1つの茶室になっているといっても過言ではないのだ。

 次に「禅」であるが、それをもっとも感じることができるのが直中庭の先にある本堂の前の枯山水式庭園「破頭庭」である。実際に大徳寺に行って他の塔頭にある枯山水様式の庭園と見比べてもらえば分かるのだが、禅の1つの要素である「ミニマリズム」を究極なまでに追及しているのだ。一般的に枯山水の庭園といえば、石と白砂、また草木だけで自然の造形や物語などを表現する元々ミニマルな存在であるが、黄梅院の「破頭庭」はそのミニマルさ加減が飛び抜けている。定量的にそのミニマルさを表現すると、木は2本、石は3つだけで、白砂の模様はただの直線である。ひたすらシンプルで多くの余白が設けられているという印象を受けるのだ。しかしそれがかえって、何事にも囚われない状態でただその瞬間に意識を向けさせる余裕を生んでおり、いつまでもそこに座って瞑想状態でいることができるのだ。正に禅という精神性が意識されている設計になっているのである。

 最後に「コントラスト」であるが、それは破頭庭や直中庭を臨む建物側の部屋に見ることができる。具体的には部屋を構成する各要素間のコントラストで、例えば、破頭庭を見る際に一番の特等席となる旦那の間(入口から見て一番奥にある部屋で大名や位の高い人が泊まる部屋)にある襖には重要文化財に指定されている雲谷等顔(うんこくとうがん)の水墨画が描かれているがその襖には(恐らく金メッキ、もしかしたら純金製の)金色に輝く美しい引き手が付けられいる。墨の濃淡だけで表現される水墨画と眩く光る金色の引き手…強烈なコントラストである。しかし、そのコントラストは逆にお互いの美しさを引き立て合っており、まったく違和感なく完全に調和している。
 他にもまだある。直中庭を臨む書院である自休軒(千利休が師匠である武野紹鴎好みに作ったと伝わる茶室も組み込まれている方丈建築)には、利休鼠(りきゅうねず)と呼ばれる利休好みの緑色がかった灰色のソリッドな襖がある。このソリッドで洗練された色合いの灰色が、床の間の土壁の素朴で荒々しい色合いと強烈なコントラストになっており、こちらもお互いの美しさを引き立て合っている。正にコントラストの強烈さが美しさの源泉になっているのである。

 これら3つの要素は、黄梅院の長い歴史の中で徐々に作られていったものであると思われ、またそれぞれの時代でそれぞれ最高の設計者(デザイナー)が溢れる才能を持ち寄ったことによって集大成的に偶然形作られたとも考えらえる。しかし偶然にしてはあまりに高度な次元で調和がとれており、その歴史的な背景にそれらの要素が必然的に集まる可能性が元々あったのでは・・と想像を掻き立てられる。また同時に、院内の張りつめた空気からは、初代から始まり現在まで脈々と続く黄梅院のご住職の方たちの計り知れない精神性と美意識に拠るところも多分にあるのではとも感じる。

 いずれにせよ、個人的には”奇跡”としか言いようがない黄梅院の美しさを限られた期間ではあるが感じることができる機会のある現代に生まれた幸せをかみしめずにはいられないゴールデンウィークの後半であった。